2015年02月24日

つれづれなるままにノープランで価値観について書いてみたが、火傷しそうになった。

ここのコーヒーが美味い。
あそこのケーキが美味い。
この本は面白い。
このスポーツは楽しい。
人それぞれ趣味嗜好があり価値観も違う。

だからどれが正解で間違いなんてものはない。

例えばメディアとして「バラエティー」が好きな人もいれば「ドラマ」が好きな人もいる。
フィクションである創作されたものが好みの人がいれば、ドキュメンタリーしか見ない人もいる。
単なる価値観の差である。

この場合「ニュース」は好きというのは場違いである。
ニュースは楽しく見るものではないし、心が躍ったり感動するものではない。

今話題となる知識を欲っしたり、今周りで何が起こっているのか知っておきたい、
世間と自分の間にある溝が広がらないよう、また取り残されないための生活の必需品である。
もちろんそんなもの必要ないと言い切る人もいるが、人としてコミュニケーションをとる場合、やはり最低限は必要だし、嫌がおうにも飛び込んできている。

ニュースの解説番組はどうかといえば、これは趣向品であるのだと思う。
その事件がなぜ起きたのか? 世界は何故戦争が起こっているのか?
そんな欲求を満たすための趣向品だからである。

ワイドショーがその最たるものだと思う。
芸能人のゴシップやファッション情報から食べ物の情報。
こちらが求めていない情報すら丁寧に提供してくれる。
グルメリポーターが「もう、美味しいとしか言いようがないですね」と褒めちぎり、オーナーに細かな秘訣を聞いたりする。

しかし思う、そういうものはこちら側で感じたり探すものではないだろうか?
確かに忙しい日本人。いちいち美味しい場所を見つける余裕すらないのはわかる。
深夜のショッピングチャンネルがテレビを買うと、今あるテレビを2万円で引き取ってくれる親切さだ。

実際にその場所へ行って、長蛇の列に並び貴重な時間を費やして「これ話題になったやつだよね。言ってた通りあの味が○○で、隠し味が○○で、とても美味しいね」とグルメリポーターが食べていたものをありがたく嬉しげにいただいている姿を見ると、眉を寄せてしまう。

なぜ食べるだけに何時間も並ばなければいけないのだろうか? まぁそこは趣味だからいいか・・・
しかしそんな番組で紹介されたお店もたまったものではないのではないだろうか?
売り上げが上がるのは嬉しいことだが、供給が追い付かなくなる。
「紹介されたことで繁盛をしたお店」が、自分が築き上げたものだと錯覚したものはブームが過ぎると潰れてしまう。
そのお店は、元々本当に美味しかったのだろうか?
話題だけがお店を追い越してしまってたんじゃないだろうか?
お洒落なだけの頻繁に変わるお店と同じで、本質がなかったのではないだろうか?

そもそも色んな情報に囚われ過ぎているのではないだろうか?
もしくはメディアを信用し過ぎているのではないだろうか?
まぁ、話題になったものは味わってみたいし、見てみたいし、やってみたい。

しかし本当のところ、ブームが過ぎてしまうといかに自分が間違っていたのか痛烈に踊らされていたと思い知らされる。
所詮、元々の趣味じゃないものを流行だからと言って手をだし、挙句の果てに捨てるのである。
本当に好きな人はブームの前から応援したり、通ったりしているし、その後も信念による行動だから曲げることはない。

右向け右の日本人と言われた通り、今も執着のなさは日本人独特の傾向だと思う。
信じる者は救われると神は言いたもうた。
しかし、信じ過ぎるものは足元をすくわれるのだ。
 
posted by Shio at 20:47 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本のテレビがどんどん馬鹿になってる気がする

今日、家族で何となく民放を見てたら
「ディスる」というネットスラングが使われていた。
当然の如く知らない人は分からないので
「これどういう意味?」と聞かれた。
ちょっと前に調べたのだけど・・・脳内に残ってなかった。
「う〜ん、蔑むとか、批判する的なもんやったと思う・・・」
まぁ、当たらずとも遠からじ、大胆そんな感じだ。

今調べたけど、大体合ってた。テヘペロ(*´┰`*)
disrespectを参照。


しかし実に下らない。そして意味もなく腹立たしい。
皆が観る民放で「ディスる」を平気で垂れ流す。
しかも意味を説明もせずにワイワイ盛り上がるそのさまは、情報弱者と馬鹿にしているかのようだ。
ネットではなく、TVショーとして放送するならば、正しい英語でもなく、流行りとして新しい和製語を使う場合は最低限の配慮するべきだし、もとい、日本語で完結するなら日本語でやるべきなのだ。


今でこそほとんどの人が曖昧にこそ知っている「NEET」などが良い例だ。しかしこれは海外産の輸入物の省略言葉である。
しかも、現在英単語としては死語で、日本以外では使われていないのだ。実に下らない。
意味も理解せずそこら中の人が間違えた使い方をしだす。
働く気のない者や、単なる失業者を「ニート」と呼んでいるのだ。
ただしくは
「教育を受けておらず、雇用されておらず、職業訓練も受けていない者」
その中には「たとえ働きたくても働くことができない人」を含むのである。敢えてもう一度言おう、NEETは今や世界的に死語である。

何をオブラートに包んでカッコを付けているのだろうか?
意味を理解して使ってこその知識ではないか!
「気の置けない仲」とは「仲の良いひと」であり「気を遣わずにいられる仲」なのである!
思わず気を置いてしまう「気を使ってしまう」人は疲れるのである!


意味のないピースサインに平和など来ないのだよ! ヤマトの諸君!!


子供に「これってどういう意味?」と毎回テストのように、理解できる分かりやすい言葉で回答を明確に示さねばならない親の身になれ!
これはこれで、自分自身も伝えることにより、知識が深くなるので悪い事ばかりではない・・・まぁ、いづれ教養の無さはバレてしまうものであるがね。エッヘン

とかなり脱線してしまったけど、こちらから飛び込むネットの世界と、無差別に垂れ流されるTV放送との区別をつけてほしいものである。
うむむ、それとも俺の頭が固くなってきたのかな?
 
posted by Shio at 02:35 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月10日

焼き食文化の鎮魂歌

焼きそばってさ、誰が作ったんだろう?
あることが自然すぎて誰も考えなかったことがふと頭に浮かぶ。
そもそもお出汁で頂くのが本来の麺スタイルである。
なぜ鉄板で「もう、焼いちまおう!」と思い立ったのか?
しかも「ソース」というジャイアン級のぶっ飛ばされてしまう誰の言うことも聞かない味付けである。
まぁ、ホームラン級の正解だったから世に普及したのではあるが・・・


こうした「やっちまおう」精神で、三振及び凡打程度の失敗で世に出ることのなかった未知なる食文化も山というほどあったに違いない。

安打でその店の定番メニュー。
二塁打まで行けば、ご当地グルメとなり、今や定番となったB級グルメでいつか日の目を見るかもしれない。
焼きラーメンや今や一般家庭に普及する皿うどんなどがその例である。
また、ソーキそばなど、ホームグランドでないとその本当の美味しさが分からないものもある。

余談ではあるが、神戸っ子でありながら「そば飯」は私の好みではない。
個人の見解では炭水化物に炭水化物はデンジャラス!
言うなれば「パンでご飯を挟んでみました」もとい「ご飯の上にチャーハン事件」混ぜるな危険なのである。
大き目の茶わん蒸しだと思って食べてたら「下からうどんが出てきた!」という快挙ではないのだよ諸君!!

そもそも、まだ電子レンジが普及していなかった時代の冬の白飯の弁当。
これを温めてもらいつつ、なおかつ空腹を満たすがゆえに焼きそばに混ぜてもらったものがそば飯の発祥である。

私個人の意見で、ほとんどの関西人を敵に回してしまうことになるが、
この飽食の時代、そば飯や焼きそば定食(焼きそばに白ご飯)を食すなら、焼きそばを二人前を食べよ!と言いたくなるのである。
もちろん喫茶店やお好み焼き屋さんでは高いのでカップでも可!
武士は食わねど高楊枝の勢いで「焼きそばのみ単品」というチョイスもある。


かと言って、何が正解であるかは己の腹で決めるのが一番なのではあるからして、これらを全てをまったく否定する気はない。
「好きにすればいいじゃん!」なのである。

しかし、時にはプロ選手が少年野球でホームランを打つというキワモノも存在する。
それがメディアの力であり、まさにごり押しである。
揚げたラーメン束で具材を挟むラーメンバーガーは一度食べたが、もう二度とお金を払って食べようとは思わない。
それならむしろ、すきっ腹なのにお湯が無く、仕方なくチキンラーメンをグワシャグワシャと豪快にむさぼる方が美味い気がする。
※上記は私独自の観点であり、たんなる偏見であるのでご容赦をいただきたい。

また、本当に美味しかったにもかかわらず、場所や観客に恵まれず幻の場外ホームランも存在したかもしれない。
そんな不世出の一品だったかもしれない焼きものたちに哀悼の意を込め、焼きそばを食すのであった。
 
posted by Shio at 12:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする